地蔵・墓碑・塚等
百地蔵
縁起によると・・・・此新多村百地蔵尊衆人疾病癒し給ふ御功あれば■ては薬師を地蔵ととりかへて今かく称之侍るなるべし。おもふに斉明天皇御病むけたひらけて天智天皇懇祈の御姿あるり自ら薬師木像を彫刻し給ひしことしるへからすとや・・・と記されている。
その後宝暦八年に出来た手洗石が苔むして残っている。
六地蔵
小竹上町の地蔵公園内にあり、寛延3年(1750年)遠賀川の川底からひきあげられ現在地に祀られている石像である。
三猿塔
見ざる、聞かざる、言わざるの三様の姿をした猿の形を刻んだこの像は、町内ただ一つの珍しい石の塔(庚申塔)である。
御徳村開祖の墓碑
豊前馬岳城主長野助守の家臣守田中務之丞氏利が、元和元年(1615年)より立村の準備をし元和4年この地に村を開き御徳村を称した。
殿墓
草場城址と対面する小竹町中央公民館裏手に殿墓といわれる三重の石塔が建っている。年号や銘は不明だが龍屋寺ゆかりの竜ヶ岳城主:杉権頭連並の墓と伝えられている。
この墓所より、古銭が多く出土した。
芭蕉句塚
小竹は俳句の盛んな町であり、古くから名のある俳人を数多く輩出していました。
嘉永4年(1851年)に建立した句碑が残っている。
郡境石
江戸時代に造られたといわれる穂波郡と鞍手郡を分割する石碑で石面に「従是北鞍手郡」と記述されている。